潜在意識に苦しめられて

潜在意識が悲鳴をあげてる・・・らしいです

逃げたい、逃げられない

ブログは初めてではないけれど、久しぶりにまた書こうって思ったので書き始めた。

 

最近どうも焦りが出てきて落ち着かなくなってしまっている。

原因はピアノの発表会。

経験として・・・とか、スタインウェイが弾きたいから、とか、参加したい理由を考えてみるも、昔からあがり症でトラウマ級の体験もしているので、なかなか参加しますと言いだせないでいる。

意を決して・・・と思うが、

そういう葛藤がよくないみたいで、また持病?の心因性慢性疼痛が表れた。

練習も、次から次へと、あれ、できてない・・・って思う個所を見つけてしまう。

 

昨日は高齢の親のことを兄弟に任せ、家でPCに向かい、常備食材等のリストを作成してた。親のお金の管理もしているので、本当はこんなことしてる場合じゃなく、会計報告書を作成しないといけないのだけれど、口約束でもあるから怠けてる・・・いや、逃げたかった。どうでもいい平和なことをするのが今の気晴らしにもなった。

1~3月中旬の介護認定がおりるまで、まったく落ち着かない不安な日々が続いていた。

貴重品のほぼすべてを失い、家族みんながショックを受けたあの日。

いまも、歯科、内科通院など、自分がついて行ってるので、落ち着いたとは言えないけれど、ヘルパーさんやリハビリの方にもきていただき、不安や心配事はケアマネさんに相談するなどして何とか日々乗り切っている感じ。

一番何とかやっているって感じているのは当事者である父だろうか。

 

父とはうまくいっているはずもなく、会えば葛藤、TELすればイライラしたり不安に思うことばかり。

でも、関わってくれる周囲の人からは、親思いな子供たち・・・と思われていて・・・。

違うんだよなぁ・・・ってちょっとため息が出る。

でも昔よりかは平和に話できる日もあって、それが認知症と診断されたいまであることに複雑な思いを抱いている。

 

 

この連休はリラックスとは無縁。

リラックスできないのは自分の心持のせいだけれど、不安になる、ストレスになる原因がある以上は、今みたいなしんどい気持ちはこれからも続くのだな、って思う。

それを何とかするのは自分・・・って思うけれど、体が勝手に反応してしまうのでどうしようもなくなってる。

まじめ・・・と言う言葉が自分には堪える。

本当に堪える。それはよくない意味だよね、って思うから。

でも、他人には、それしかわたしを一言で表現する言葉がないのだろう。

ならば一言で表現しないでほしいって思ってしまう。

 

潜在意識がもう無理と悲鳴を上げて慢性疼痛を引き起こしているらしいのだが。

まじめから逃げたい・・・。